カテゴリ:幕末・時代劇( 36 )

ども、ぼんです。

放置していた、八重さん。
以前から申してました通り、やはり筆を折る事に致しました。
今後も観続けるとは思うんですけどね・・・
だけどこれまでのような感想が生まれる事はないなと。

とりあえず2週分のまとめなど。

多くの働きかけで容保父子の死は許されたけれど
首謀者の三名を差し出すよう行政官から命令が下りました。
責任者は当然家老の席順によって選ぶ事になるのですが
戊辰戦争時の席順は田中土佐・神保内蔵助・西郷頼母・
萱野権兵衛でした。
先の二人は既に自刃、頼母は函館にいたので
繰り上がり当選で萱野が一人で戦争の全責任を負うことに。

・・ってかキャスティングのせいでどうにも萱野さんに
あんまり悲愴感が無いっていうか・・ごめんなさい(汗)
ともかく、萱野さんが背負ってくれたお陰で
大蔵と平馬さんは命を繋いだのです。

ちなみに萱野さん家の悲劇はこれで済まされず
その息子の郡長正も(父親が罪人のため母方の姓)
會津武士の誇りを貫くために十六歳という若さで
自ら命を絶ってしまうのです・・・
このエピソードはほんと可哀相すぎて・・。

話を戻します。
その後の山本家は米沢藩の内藤家に身を寄せます。
唐突なようですが、これ以前に砲術指南を受けるため
米沢藩の人達がたびたび山本家に訪れていたようです。
(そんなシーンが一度ありましたよね)
その繋がりから米沢行きとなったのです。

八重さんは家族を支え、気丈に振る舞ってはいるものの
心に大きな傷を抱えていました。

戦の終わった翌年の明治二年に容保様の実子、
容大(かたはる)さんが御薬園でお生まれになり
そこから家名再興の願い出をする・・
という流れがあったのですがそこも省かれ。
ここスルーしたら話がわかりづらくないですか?
で、墳墓の土地にこだわると新政府に悪感情を
持たれる危険性があるので、會津から遠く離れた
陸奥国で家名を盛り立てようということに
唐突に強引に話がもっていかれてしまいます。

容大さんに三万石が与えられ、藩名は漢詩の
「北斗以南皆帝州」に因んで斗南と名付けられました。
北辺の地とはいえ天子の領土のうちだから
天朝から追放されたのではないという會津藩士の
切々たる心情がその命名には込められていたのです。

だからといって旧藩士が僅か三万石に
全員移住できた訳もなく、北海道に渡る者、
各地に散った者、親戚を頼って會津に留まる者など
それぞれに生きるための身の振り方を決断したのです。
斗南に向かった人々の中にはその痛苦の旅の途中で
命を落とす人も数多く出たそうです。

結局明治4年には廃藩置県が施行されて斗南県となり
そのうち弘前県・青森県に合併され・・
廃藩置県の頃から斗南を去るものが多くなり
かなりの人が會津に帰ったとか。

函館戦争も華麗にスルーされていて
土方さんもあっという間に亡くなりました・・
←もうここ笑うしかない、みたいな。
まあ本筋とは関係ないから・・
関係ないけど鳥羽伏見から始まった
この戦の終末とかね・・まあもういいんだけどさ。

で、ドラマ「白虎隊」では開城のどさくさで
行方不明となっていた尚之助さんですが、
その後の研究で消息が明らかになり・・

會津藩士として斗南に渡った彼は
不正交易の罪を一身に背負って裁判に掛けられます。
語られる事ないかもしれないのでゆっちゃうと
その裁判中に病気で亡くなったそうですよ・・
賛否両論色々ある「八重の桜」ですが、
このドラマのお陰で尚之助さんは随分と
名誉回復ができたと思います。
その点については本当に良かったなと。

で、八重さんには離縁状。
事情は伏せてあるのでもちろん八重さんには
そんな尚之助さんの気持ちなど伝わる訳もなく。
辛い過去を埋めながら新しい時代を彼女は
生きていくのですよ・・・
(あ、二葉さんも離縁・・・)

京都で覚馬さんが生きている事がわかり
喜びでいっぱいの山本家でしたが、
彼を支えている女性の存在が明らかになり
複雑な雰囲気に。
不自由な体ゆえにお世話する人が必要な事も
相手の生存確認すら困難な時代であった事も
全部全部仕方がなくて理解のできる事ではあるのですが
そりゃないぜーっっっ!!!
・・・ですよね。

だけど武家の女として最後まで気丈に振る舞う、うら。
私最初はうらが苦手だったけど・・
絶対損してるって思うプライドの高さや頑なさは
人ごととは思えず(笑)今ではうらの事好きですよ、私。
きっと八重さんもうらが大好きだったと思う。
だから後年、八重さんはこの薄幸な義姉と
再会を望むのですよ。

娘を手放す決意をするうら。
どう考えてもみねにとってそれが幸せな選択のはずが無い。
・・・って思うんですけどね。
この母娘の別れのシーン、ほんっっと哀しくて
イヤだった・・・覚馬さんを嫌いになりそうな位。

複雑な気持ちで京都にやって来た3人。
時栄さんの登場にも戸惑うものの・・・
覚馬さんの顔を見た瞬間、全てが吹っ飛んで
駆け寄る八重さんとママ。
そりゃ家族ですもの・・・

だけど。
物心つく前に父親である覚馬さんと生き別れたみね。
彼女はどうしていいかわからず、その場に立ちつくします。
その姿もまた哀れで・・・
お父さんなのに知らない人、みたいな。

・・・辛すぎます。
斗南へ赴く前の大蔵が山本家を訪れて
皆でこづゆを頂くシーンなんて、一人他人が紛れてるのに
普通の家族団らんの一シーンみたいで違和感なかったけど
(同じ會津の人間だから同じ血が流れてる位の)
明らかに不協和音なこの家族。
どうなる、みね。

結局思ってたより大分長くなってしまいましたが
私の八重さんメモはこれにて終了。
あとは普通に一視聴者として観ようと思います。
また何か感想が生まれたらちょこっと書くかもしれないけど
とりあえず。
途切れ途切れしながらなんとか続けて来れた大河メモ。
読んで下さった皆さん、ありがとうございました。

忘れた頃に會津・二本松旅行のレポを書きますので
(今は野球が忙しくて・・・)
よろしければ覗いてやって下さいませ。

ほな♪
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今職場で飲んでるお茶~っ
會津の御薬園(おやくえん)で買ってきたもの♪
たくさん種類があったうちから一番スタンダードなものを
選びました~はとむぎ茶っぽい。美味しいです。

これが殿の御薬園で作ったお茶か・・と思って
大事に頂いております(笑)
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by eeny_meeny-bon | 2013-08-07 00:05 | 幕末・時代劇

7/21今週の八重さん。

また周回遅れになってしまった ぼんです(笑)

元来マメじゃないので毎回ちゃんと記事にするのが
だんだん苦痛になってきていたのですが・・
今回もちょっと長めの記事です☆
こんだけきっちり書くのは恐らく今回で最後だと。


鶴ヶ城は籠城戦のまっただ中、兵糧が尽きかけた為
決死隊が結成され、そこに山本パパも参加します。
(以前にも書きましたが籠城が思いの外長かった訳ではなく
十分な備えが出来てなかったのです・・)
山本パパは八重さんに自分達が城門を出る時には
鉄砲で護ってくれと言い残して出発。

前回、砲弾の処理に失敗して被弾した大蔵妻の登勢さんは
そのまま亡くなってしまいます。
大蔵をはじめ、家族がその枕元に集まっている中
健次郎さんが駆けつけて来ます。
そんな弟をいきなり叱りつける大蔵。
・・・なんか敗戦色濃厚になって来たし、毎日砲弾浴びせられるし
作戦はことごとく失敗するし、重責はいよいよのし掛かるし
その上嫁は死んじゃうし、なんてこったいオレ。
多分大蔵も精神的にギリギリだったんでしょうね・・・
誰だってそんな状況に置かれたら平静を保つのも大変だと。
だから若干キレ気味に、八つ当たりっぽく
見えてしまったのでしょうかね・・この時の大蔵。
そんな兄の剣幕に思わず健次郎さんは脇差しを抜いて
その場で切腹しようとして皆に止められます。

・・・ってかそこで腹切ったらほんとにただの犬死にだし・・
二人ともお利口さんのはずなのに・・瞬間湯沸かし器的兄弟(笑)
思わず茶化してしまいたくなるほど虚しさが漂うシーンでした。

「もう良い。十分だ。これ以上死ぬことは無い。」
大蔵達の母、艶さんの口から出た言葉は、彼女一人のものではなく
多くを失った會津の人々の心の声だったのかもしれません。
その様子を離れた処から見ていた容保様・・
言葉にできない想いがあったことでしょう。

八重さんと尚之介さんが久しぶりに二人っきりで会話するシーン。
連日の砲撃を受けてボロボロになったお城を見て
「崩れないのが不思議なくらい。」と明るく言う八重さん。
そんな彼女を見て
「會津は打たれ強い。国とはそこに住む人の事だと思っています。
會津は・・・八重さんは強い。」そう返す尚之介さん。
「だったら尚之介様はすっかり會津の人だ。」
「んだなし。」
今回、印象に残った、すごく好きなシーンです・・・
なんてことはない会話なんですけどね。
尚之介さん初めての會津弁だったり、
やっぱり八重さん=會津の図式だったり
二人は同志だけどやっぱり夫婦なんだと思ったり
様々な事が濃縮された場面だったと思います。

密命を帯びた秋月が城を出ます。
もちろんそれは降伏の使者として。
そして容保様は照姫様に降伏の意を伝えます。
敗戦の屈辱はもちろん、国を焦土にしてしまった事
たくさんの民を失ってしまった事、どれだけ戦っても
逆賊の汚名を雪げない事・・
それら全ての責任は自分にある、と苦しむ容保様。

本当に生真面目で責任感の強い殿だったと思います。
余談ですが容保様の写真肖像が3葉残っています。
京都守護職拝命以前、東京にひきあげた頃、晩年のもの。
もちろん年老いていく訳ですから風貌もそれなりに
変わっていくんでしょうけど・・・
東京にひきあげた頃の写真は別人のようにやつれ、
顔つきが全く変わっています。
それは本意でないながらも二度も藩士を
置き去りにしてしまった憔悴からだと思われ・・
そして晩年のもの哀しげな瞳に真一文字に結ばれた口元。
彼は頑なまで口を噤み、一切往事を語ろうとしなかったそうです。
純情であり、生一本な性格だったゆえに、その受けた心の傷は
深く大きかった事が写真からも窺う事ができます・・・

話を戻します。
後悔に苛まれる容保様を見て照姫様は静かに
先日凧揚げをする子供らを見た時の事を話します。
彼らの逞しさを誇らしく思い、また會津の空に子供らの凧が
揚がるのを見たい・・と。
(本当は子供達は皆が皆楽しんで揚げてた訳ではなく
空腹で辛いのになんでこんな事をさせられるのか・・という
状況だったらしいのですが、まあここは演出上・・・)

開戦の際に決断した、會津の民最後の一人になるまで
戦うという決意。
だけど本当にそれを実現してしまっては
會津は無くなってしまいます。
ここ、尚之介さんの言葉とリンクしてますよね。
會津の人間がいなくなる=国が滅びる という事。
凧を揚げていた子供らがまた次の世へと命を繋げて
會津を存続していく、そんな未来のための大いなる
決断であった・・そう照姫様は言いたかったのです。

容保様にとっての一筋の光は照姫様だったと思います。
ここのシーンもすごく印象に残りました。
自責の念に駆られて動けなくなっている容保様に
そっと手を差し伸べ、立ち上がらせて
優しく背中を押してあげる。
そんな存在はきっと照姫様以外にはなかったと思います。
家臣皆大殿を慕っているとはいえ、トップに立つ者の
宿命である孤独まで分かち合う事はできないのです。
それが出来るのは「姉」という同等以上の立場で
寄り添う事のできる照姫様だったのだと。

そんな中、物資を運んでいる途中に銃撃を受け山本パパ逝去。
「八重、お前はわしの誇りだ。皆を守れ・・」
そう言い残して。

そして城内の人々に降伏の旨が伝えられます。
藩士たちは広間で容保様から直接伝えられました。
なんでかその場にいる八重さん(まあ主人公なんで・・)。
「罪は我が一身にある。最後の君命だ。生きよ!」
最後の願いであるように声を張り上げる容保様。
そんな大殿に
「會津が逆賊ではない事を証明できるのは殿様しかいない。
だから何があっても生きて下さい。」
そう、このとっても重要な台詞を言うために八重さんは
この場にいたのです・・

もしこの時容保様がその首を差し出していたら・・・
後世に會津の事がどのように伝わっていたかわかりません。
彼が生き延びて、肌身離さず持っていたご宸翰が残ったからこそ
きっと今があるのだと思います。

開城の前夜、八重さんは城壁に歌を刻みます。
彼女は三郎として男に混じって猪苗代の謹慎所へ行く決意を
密かに固めていました。
八重さんがそう考えている事はお見通しのママ。
行って欲しくないと娘を抱きしめます。
そんな母娘の姿を見つめる尚之介さん。

数々の悲劇のうちに鶴ヶ城は開城しました。
城内にいた人員は藩士・従僕・他領脱走者・
女性など合計5200人余りであったと言われています。
明治元年9月22日午前10時、鶴ヶ城の上空に
二発の砲声が響きました。
追手門には「降参」と大書された白旗が掲げられたのです。
城内にあった白布は全て包帯として使用してしまったので
小さな白布ををつぎはぎして作られた白旗でした。
會津降伏式場には薄縁という畳表に緑布をつけたものを敷き、
その上に緋毛氈が敷かれました。
この毛氈はその夜、主立った藩士達にちぎり配られたそうです。
敗戦の悲憤と藩主父子への思慕の念が滲んだ泣毛氈。
皆号泣しながら受け取ったといいます。

二葉さん達がきれいに拭き掃除した廊下を板垣達が
土足で上がって汚していきます。
その途中で廊下が綺麗に清められている事に気付き
自分達の足跡を振り返る板垣。
・・まだ気付いただけマシって事ですかね。
最後まで気高い會津魂とそれを踏み荒らした新政府軍という
対比として描かれた場面でした。

二葉さんと一緒に拭き掃除していた小さな女の子、
咲ちゃんは大蔵の末妹でやがて日本最初の女子海外留学生として
アメリカへ派遣される事になります。
その後、皮肉な巡り合わせというべき相手と結婚されるのですが
それはもっと後の事・・・

開城の翌日、城内の兵士達は謹慎所のある
猪苗代に向かうため広間に集められます。
そこには三郎に扮した八重さんが混じっていました。
新政府軍の兵士の横暴さに皆腹を立てますが
大殿と若殿の首がかかっているため反抗できません。
そこで誰かが歌を歌い始めました。
手拍子も続き、宴会さながらに。
そこで八重さん、その楽しげな雰囲気の中で
まるであの祝言の夜みたいだと呟きます。

・・ガンコな八重さんはきっと行くと言えば行くだろうし
止める事は恐らく不可能でした。
それは母親でさえムリだったのです。
この時まで彼女を止めることすら考えていなかっただろう、
尚之介さん・・一瞬で様々な事が頭をよぎったのだと思います。
彼がとった行動は猪苗代行きの一団に女が紛れていると
大声で報せ、八重さんを除外させる事。
彼女は同等のパートナーである事は間違いない、けど
それよりもやはり彼女を護りたかったし生きていて欲しいと
尚之介さんは願ったのでしょう。

・・・これが二人の最後になるのでしょうか。
表情を強ばらせ、思い詰めた表情で出発した尚之介さん。
その彼の想いを、愛情を八重さんはまっすぐに受け取る事が
できたのか・・・
ただただ自分の気持ちが踏みにじられたようにしか
受け取ってなかったら・・哀し過ぎる。

でも尚之介さんの想いに気付かないから
その喪失感を埋めるための彼女のこれからの新しい人生が
明治編なんだろうなぁ(涙)

呆然と取り残される八重さん。
からっぽになった城内で一人立ちつくす彼女の瞳に
ふいに映ったのはボロボロの天守。
雲間から陽の光が差し、天守と八重さんを照らします。
「それでも空は変わらないのか・・」


とうとう終わってしまった幕末編。
(・・と勝手に呼んでますが)
ここからが本当の意味での「八重の桜」が始まるって事は
わかってるので放送は可能な限り観ると思いますが
感想を書けるかどうかはわかりません・・
とりあえず明治編の初回はまだ尚之介さんや斗南の事が
出てきてたので何かしら書くと思いますが・・・
だけどいきなり開城から半年も経ってるとかどうよ・・

ちょっと先はわかりません××
ここまで読んで頂いてありがとうございました。
読んで下さる方がいるって事を励みに
周回遅れになったりしながらもここまで頑張って
更新して来れたと思っています。
本当にありがとうございました<(_ _)>

ほな♪
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by eeny_meeny-bon | 2013-07-30 21:47 | 幕末・時代劇

7/14今週の八重さん。

さて年に一度のオールスター週間、
この機に乗じて八重さん記事を続けてアップする
ぼんですよー。

もちろん球宴も観てます♪
野球ファンゆえにメインのチーム関係なく
どこのチームでも遠慮無く応援できるのが
ほんまに楽しい♪
セパすら関係ない(笑)
チャンテ歌い放題やもんなーっ
京セラで観たのはもう1年も前なのですね・・
楽しかったなぁ~(遠い目)

さて、八重さん。

恭順を主張して孤立した頼母様、放逐。
城から出ていくのを見送る秋月と八重さん。
その頼母様の背中越しに城を捨てるのかと
問いつめる八重さん。
「人にはそれぞれ道がある。どうしても譲れない道が。
臆病者と言われても真っ直ぐにしか進めない自分の道が。
この西郷頼母にもたわまぬ節がある。」
・・たわまぬ節とは奥様の辞世の句ですよね。

八重さんは自分達の正当性を戦いに勝つ事で
示そうと考えていました。
正しい事は正しいのだと。
そしてそれは會津の総意でもありました。
今だから言えるのかもしれませんが
このまま自分達の殻に閉じこもっていては
先にあるのは滅亡だけなのです。
秋月の「恭順を唱える方が今はむしろ勇気がいる」、
この言葉が表すように勇気とは
強くうって出るという事だけではないのだと思います。

前にも書きましたが會津は新政府軍がこのように
早く城下に突入してくるとは予期していませんでした。
そのため籠城の準備はほとんど整っていなかったのです。
籠城は1ヶ月に及びましたが、
その間に食料も弾薬も薬も底をつき
想像を絶する状況だったと思われます。
耐える事ができたのは一重に會津の人々の
精神力によってのみ。
本当なら上層部が多くの犠牲を出す前に
もっと早く、この状況を顧みて
本当の勇気を奮うべきだったかと・・・
当然今だから言える事なんですけどね。

そして戻って来た娘子隊によって竹子さんの死が
八重さん達に報されます。
(ちなみにこの時はまだ”娘子隊”という
名前じゃなかったらしいのですが
わかりやすいのでそう記述します)

余談ですが竹子さんの妹の優子さんは
その並外れた美貌のため、もし敵につかまって
辱めを受けてはいけないからと
竹子さんとその母親が戦場へ出る前に
優子さんを殺害する相談をしたそうです。

現代なら何があっても優先順位は命が一番である事が
常識になってる世の中。
だけど少し前にはそれが「誇り」だった時代があるのです。
実の妹を護るために母と姉がその命を奪う相談をする・・
誇りを守る為とはいえ・・・地獄です。

さて、話を戻します。
竹子さんを悼む暇もなく砲撃が始まります。
それは小田山からのアームストロング砲の砲撃音。
ただちに撃ち返そうと八重さんは言いますが、
會津の大砲ではあちらに届くかどうか・・・
ところが安易にも火薬の量を増やして撃ってはどうかと
彼女は提案します。
それでは砲身が持たないのでは・・というのは当然考える事。
なんだか砲術家のうちの人とは思えない言葉ですが・・
果たして弾はちゃんと小田山の相手陣営に届きます(笑)

そこへ山本パパがやって来て、後の事は任せて
八重さんには元の持ち場へ戻るように言います。
大砲は撃てばその撃った位置、すなわち距離や角度などから
その位置を特定される危険な武器でもありました。
(砲術家って完璧な理数系なのですよねー・・当たり前だけど)
だから今度は八重さん達のいるところが目標にされてしまう。
やはりパパとしては娘を護りたかったのですね。

ここで初めて北出丸で鉄砲隊を指揮した事について
八重さんを褒めるパパ。
これまで女だてらに鉄砲を撃ちたがる娘を
快く思ってなかったはずが・・
初めて褒められたんじゃないでしょうか、八重さん。
こんなパパ初めて見たわ・・・と
否応にもこの後の展開が読めてしまう訳ですが。

容保様と大蔵達が城内を巡回していた時、
その近くに敵の砲弾が落ちてきました。
恐怖する人々を尻目に駆け込んで来た八重さんは
素早く近くの毛布を水で濡らして大砲の弾に被せます。
こうやって火薬に着火する前に消し止めてしまえば
弾は爆発しない・・そう説明する八重さん。
言うのは簡単だけど実行するのはとても難しい事。
だけど會津の勇気ある女性達は本当にこの消火活動を
行ったそうです。もちろん多くの犠牲を出しますが。

さてこの八重さんの姿を見ていた容保様から
お召しの声が掛かります。
用意された大砲の弾を使ってテキパキと説明する八重さん。
一通り話を聞いた容保様は彼女と覚馬さんが似ていると言います。
その言葉に後押しされるように八重さんは幼い頃に
容保様と一度会った思い出を語ります。
武士らしいと言ってもらった事、いつか強くなってお役に立ちたい
會津のために働きたいと思っていた事。

「女も子供も皆我が家臣。この後も共に力を尽くせよ。」
なんというありがたいお言葉。
八重さんの感動はいかなるものだったでしょうか。

そこで皆で出来る事をと八重さんが提案したのは・・
敵の撃ってくる弾を拾って、それを溶かしてゲベール銃の
銃弾を作る事でした。
女性も子供もなんだか楽しんでその作業に没頭します。
その様子を少し離れたところから見ていた山本パパ&ママ。
女だてらに鉄砲を扱うことは身を滅ぼす元にしかならないと
ずっと思っていたけれど、八重さんが鉄砲を学んだ事は
間違いではなかったかもしれない。
闇の中でも小さな穴が一つ開けば光が一筋差し込んでくる。
「その穴を開けるのが八重の鉄砲かもしれないな。」
もう今回の名場面、名台詞は私的にはここでした・・・
なんかすごく象徴的なシーンでした。
その一筋の光は「希望」なのかもしれません。

籠城5日目 軍議の結果、翌早朝に佐川官兵衛さんが
兵千余名を引き連れて奇襲をかけることに。
その晩、官兵衛さんは容保様と対面して出陣の儀が
行われます。
殿から直に御酒を賜り、感無量の官兵衛さん。
そのまま酔いつぶれてしまい・・・
なんで誰も起こさないの?という疑問はともかく、
寝過ごしてしまった官兵衛さん。
当然奇襲作戦は失敗、凄絶な決闘の末
會津兵は多くの戦死者を出してしまいます。
ただ一方的に負けたのではなく優位に立った場面も
あったようですが援軍を次々に送り込んでくる
新政府軍の前に多くは不利となり
最終的には兵を収めるしかなくなったのです・・

その頃京都では管見を読んだ岩倉が覚馬さんに会おうと
病床に訪れます。
まあこの辺りは色々な描写がすっ飛ばされていて
なんかどうでもいい感じなんですけど・・・
まあ結局この建白は取り上げられなかったって事ですね。

官兵衛さんの寝坊した長命寺の敗北からしばらく経ったある日。
苦しい籠城戦の中、八重さんは子供達を集めて凧揚げをします。
城内はまだまだ意気盛ん、凧揚げする余裕もあると
敵に見せつける為だったのですが・・
それを少し離れた農家に身を寄せていたユキさん達の
目に止まり・・・
入城できなかった彼女らもまた辛い日々を過ごしていましたが
凧揚げを見て、お城はまだ大丈夫だと心を強く持ち直します。

新政府軍はなかなか降伏しない會津に苦戦し、
このまま機を失えば冬になってしまう焦りから
9月14日(新暦10月末頃)、全軍に総攻撃を命じます。
外郭十六門、そして小田山など近郊から一斉砲撃を
開始したのです。
まさに雨のように降り注ぐ砲弾。
それは一昼夜に二千五百余りだったと言われています。

ちなみに砲弾の負傷者の治療にあたったのが
かの有名な松本良順先生。
オランダの軍医ポンぺに西洋医学を学んだ
旧幕府医学所頭取です。
ガーゼや包帯、アルコールを使用したといわれています。
だけど医療品不足により濃毒症らしい症状で
多くの死亡者を出してしまいました。

城内に飛んで来た砲弾を大蔵の妻、登勢さんが果敢にも
八重さんに教わった通りに消火しようとします。
成功したかのように見えた次の瞬間、無情にも爆発が起き
登勢さんは重傷を負います・・・

時の流れは本当に早く様々なエピソードは削られたまま(苦笑)
いよいよ次回、鶴ヶ城は開城する事になります。

私の記事もとうとう大詰め。
やっと周回遅れを取り戻しました・・(汗)

あ、一つだけ気になる事が・・
飯盛山で息を吹き返してるはずの
白虎隊士の貞吉さんは放置なんでしょうか・・・
このままだとせっかく生き返ったのに
ほんとに死出の旅に出てしまいます(>_<)
・・まあその辺りもすっ飛ばされてしまうのでしょうね。

それではまた。
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by eeny_meeny-bon | 2013-07-20 23:53 | 幕末・時代劇

7/7今週の八重さん。

もはや何が「今週」なのかわからない
ぼんでございます。

長らくお待たせ致しました、八重さん。
予想通りもう観るだけで精一杯なのと
野球の方も忙しくて・・・
まあ超絶面倒臭がりの私がここまで
よくやったと思ってますけどね(笑)

そんな訳でさらりと振り返る先々週の八重さん。
もう明日には鶴ヶ城は開城するので
それ以降は観るかも怪しく、観てもどんだけ
感想が書けるかわかりませんが・・・

八重さん記事は割と好評で、実は野球記事よりも
たくさんの来訪を頂いてました。
なのでこういう尻すぼみな感じになってしまって
申し訳ないなーと思うのですが。

あと一人旅した會津・二本松紀行もそろそろ
書こうと思ってますのでまた時々覗いて下さいませ。

會津の籠城戦。
山川健次郎さんが「日新館が燃えた」と報せてきます。
それと同時に春英さんが怪我人を連れて城内へ。
動けなかった者はその場で焼け死んだということでした。

あまり描かれることはありませんが、戦死者の他に
城下では足手まといになってはいけないと自刃する者、
日新館にいた病気や怪我でかろうじて動ける者は
這っていって堀に身を投げたり、
動けなかった者はその後の火災で焼け死んだり・・と
本当に大勢の人々が命を絶ったそうです。
この悲惨な状況は會津に限った事ではありませんが、
なんともいえないイヤな気分になります・・・

そして八重さんは夜襲に参加。
これまでお城の塀越しに銃を撃ってた彼女ですが
初めて殺す相手の顔を目の当たりにすることで
狙撃への躊躇が生まれます。
幼い頃、パパに教わった「命を奪う武器である」ということ。
本当に身を以て知った瞬間だったんではないでしょうか。

さて、照姫様が坂下にいるという誤報により
お城の外で集結していた中野竹子さん達、
家老の萱野さんの隊に加えて貰おうとしていました。
おなごを戦場へ連れて行っては會津軍の恥だと
最初は一蹴されますが・・
その命を賭けたお願いを最終的には聞き入れてもらいます。
(ほぼ脅されてるんだが萱野さんってばいい人だ・・笑)

お城では軍議が行われており、尚之介さんが
小田山を奪われて大砲を撃ち込まれては
防ぐ手だてがないと注進します。
これ、生前の三郎さんがゆってましたよね。
小田山からはお城がよく見えるって。
火薬庫もある要所ゆえ、なんとか兵を派遣して
小田山を奪われないようにしたいんだけど
表だって兵を動かせば地の利を敵に
教えてしまう事にもなりかねない・・・
なかなか決断する事ができません。

この戦において會津は後手ばかり目立ちました。
当初から新政府軍の進軍のスピードも読めずに
やすやすと城下へ入って来られてしまったし。
會津の重臣達の頭では鎧兜で身を固めた軍の
進む速さはわかっても、西洋式の身軽な軍についての
知識はほぼ無かったのではないかと。

まあ全ては遅いのですが・・
結局その懸念は大当たり、小田山は奪われ
そこからお城に向かって連日砲弾が浴びせられます。
會津の大砲に比べて新政府軍の援軍が運んで来たのは
アームストロング砲などの最新兵器。
あちらの方が高地ということもあってまさに狙い撃ち。

そんな城下にほど近い柳橋では萱野さん率いる部隊と
中野竹子さん達が敵と戦っていました。
だけど奮闘虚しく銃弾によって竹子さんは落命します。
神保雪子さんも敵に捕らわれ縄をうたれて吊されてました。
そこへ通りかかった土佐藩の隊長に脇差しを借りて
名を名乗る事なく自害して果てます・・・
ここの「三途の川では何処の誰か名乗れ」という台詞は
泣けました・・・

會津軍は四境出兵軍引き揚げに急使を出しました。
日光口の山川大蔵隊も一部を残し主力を率いて出発。
西郊の小松村まで来ると入城の一策を講じ
名物の小松獅子の笛太鼓を全て集めたのです。
これで囃子団を編成し、先頭に据え縦隊列としました。

城内の子供達が「彼岸獅子が来た」と言ったのは
これの事でした。
その奏楽に新政府軍は唖然とし、大蔵達はその中を
堂々と入城しました。
いとも簡単にこんな事可能なのかと思われますが
この時の新政府軍は薩摩・長州・土佐に加えて
備前・大垣、その他の藩も混じっての混合チームでした。
なので言葉も服装も全てバラバラだったため
「あれは何処の何藩?」状態だったのだと思われます。
・・それにしても戦の緊張感はどこぞ?って
感じですけどね、この包囲軍・・・

だけど城からはちゃんと味方だとわかってもらわないと
お城に入る事ができません。
だって「なんだあれ、怪しいヤツ」と思ったら
城門を開けてもらえる訳がありませんし。
そこでこの「彼岸獅子」。
敵の目を欺きつつ、味方にはそれと知ってもらえる。
まさに後の「知恵山川」ここに在りです。

この他にも各方面からお城へ入った総員は
千数百名、城中の士気は上がります。
上がった事によってより籠城が長くなり
厳しい日々を強いられることにもなるんですけど・・・

頼母様は再度容保様に恭順を願い出ますが
別の役目を申しつけられます。
それは越後街道の萱野さんの元へ行き、その場に留まって
戦うように伝えること。
このまま頼母様に恭順恭順と言われては
ただでさえ纏まっていない會津の上層部が
本当にバラバラになってしまうのを止めるため。
なによりこのままでは頼母様の命を狙う者が
現れかねないと案じた容保様の想いだったと
私は思うのです。

だけどこの後確か何十年か會津に戻る事のなかった
頼母様の無念と失意はどれだけであったか。
物語はいよいよクライマックスへ(私的に・・笑)

今回はここまで。
ほな♪
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by eeny_meeny-bon | 2013-07-20 18:16 | 幕末・時代劇

6/30今週の八重さん。

急に暑くなってちょっと調子を崩し気味の
ぼんでございます~っ
 
夕べはなかなか寝付かれなくて
3時まで起きてましたよー。
目はしょぼしょぼするので本読んだりもできず
ずっとゴロゴロして辛かった・・

さて、さらっと済ませるこないだの八重さん。
(いや、もう・・進まないのよー)

8月23日朝、新政府軍は滝沢峠を越え、
城下へ迫ってきました。
急を告げる早鐘が打ち鳴らされ、
藩士の家族は続々と入城を急ぎました。

こうして會津の長い一日が始まったのです。

山本家もお城に上がりますが
男装束の八重さんはママに戦いに行くと告げます。
「さすけねぇ。必ず戻っから。」

そこへ照姫様が通りかかり
「勇ましい姿じゃな。」と声を掛けます。
鳥羽伏見の戦いで亡くなった弟の形見であり、
弟の魂と共に戦場へ向かうと話す八重さん。
「では會津武士の魂を込めよ」
・・弟と共に。
その言葉に照姫様も思うところが
あったんじゃないかなあ~・・

滝沢から容保様を無事に入城させるため
それぞれの部署の守りにつくことになりましたが
お城の守りが手薄になると平馬が反対します。
この時まだ大蔵の率いる兵達は戻って来ておらず
彼らが出ていってしまうとまさしく城の中は
女子供達と老人といくばくかの兵士だけになり
もしも敵に突破された場合を考えると
危険極まりなかったのです。

そこで八重さんが鉄砲隊を指揮すると名乗りを上げます。
もちろん女だてらにと相手にされませんが
「そんな古い考えでどうするんだ。
この戦は男だけの戦いではない!」と言い返します。
「では心ゆくまで励め」となんだか認められたみたいな
感じになってますが・・・
まあ実際はこんな事は無くって、一人でスペンサー銃を担いで
城壁の陰から敵を狙撃してたんでしょうけどね。

ドラマでは城にいた少年兵達を率いて山川健次郎さんと共に
北出丸から抗戦、その狙撃の的確さ、統率力、
滲み出るカリスマ性にその場で一緒に戦っていた老兵達も
感心します。

家老西郷頼母邸では全員白装束に着替えて詩を詠んでいました。
それはもちろん辞世の句。
「なよ竹の 風にまかする身ながらも
 たわまぬ節は ありとこそきけ」
2歳の幼児から老女まで21人が自刃したと言われています。
三女の田鶴子ちゃんでしょうか、
それとも妹の常盤ちゃんでしょうか、
「今日は何をするんですか?」と
聞いたそのあどけない表情がほんとに哀しかったです。

この日、會津では籠城して足手まといになってはいけないからと
大勢の女子供達が死を選んだと言われていますが
ここのおうちはちょっと事情が違って・・・。
頼母さんは元々数少ない恭順派であり、そのために容保様から
職を免じられていました。
なのでこの西郷邸の集団自刃は頼母さんの殉国の至情を
身をもって示したものだと言われています。

2年前に會津を訪れた時に頼母邸跡を見たのですが
北出丸からすぐのところにあったと記憶しています。
なので登城を報せる半鐘が鳴ってから
十分時間があったはずなんです。
なので遅れて城へ入れなかったから・・という理由では
決して無かったと思うのですよね。。。

その後、邸へ入ってきた新政府軍の一人である
土佐藩士が(ドラマでは板垣さん)この惨状を目の当たりにします。
まだ死に切れていない若い娘を発見しますが
その娘は「お味方でしょうか、それとも・・」と虫の息で
問いかけます。もう目も見えて無い様子。
「味方の者です」それを聞いて娘は介錯を頼みます。
この時討たれた娘は頼母さんの長女、細布子(たいこ)さんで
あったといわれています。
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そして白虎隊。
食料を調達しに出掛けた日向内記が戻って来ないまま
夜が明けようとしていました。
夕べもらった握り飯のほかは何も食べていない
育ち盛りの少年達は空腹と寒さと睡眠不足と緊張とで
精神的に追いつめられていたと思われます。
それでもなんとか城までは辿り着こうと必死で歩きます。
街道を抜ければ城下まですぐのところまで来たけれど
恐らく敵が大軍で城下を目指しているに違いなく
洞門の中を潜行する事にします。

私が前回會津を訪れた時は台風が過ぎた直後だったので
この水路はかなり増水していました。
白虎隊士達が通った日も會津は朝から雨が降っていたらしいので
恐らく同じように増水していたと思われます。
空腹と疲労の上に冷たい水の中を進むのは
さぞ困難で辛かったんじゃないかと思います・・・
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d0098335_0332675.jpg

台風一過で増水中のお写真・・・
洞の中の方はよく見えなかったけど、
きっと真っ暗だったんじゃないかと(>_<)

ようやく洞門を抜け飯盛山に出た彼らは山腹を登り
城下を見下ろせるところへ辿り着きます。
そこで彼らが見たものは燃えさかる鶴ヶ城。
実際は城下町の邸が燃えていたですが煙に遮られ
はっきりとは見えなかったと思われます。
城へ戻る話し合いがされたのですが
もし敵に捕らわれてしまったら・・と思い至り
そこで自刃する事を決めます。

篠田儀三郎さんは皆の心を静めるために
文天祥の正気歌を歌ったと言われます。
「仰いで浮雲の白きをみる
 悠々たりわが心
 丹心を留守(りゅうしゅ)して
 汗青を照らさん」
藩校日新館で朗読した漢詩でした。
こうやって白虎隊士中二番隊20名は自刃。
(後に飯沼貞吉さんが助かるので実際は19名ですが・・)

思い入れがあるのでここもなんだかあっさり感が
否めないわーと思ったり。

城下のそれぞれの持ち場で防戦していた田中土佐さんと
神保内蔵助さんでしたがいよいよそれも難しくなり
お互い差し違えて自刃します・・・
「生まれ変わってもまた會津で」という台詞には
泣かされました・・・

で、お城では八重さんと尚さんが再会。
尚さんの「やはり来ましたね」という言葉が
すごく嬉しかったです、私(笑)
普通の夫婦ではないけれど、共に戦う同志であるのが
共感できるんです・・・
八重さんの発案で城壁に大砲で穴を開けて
そこから敵に向かって発砲することに。

京では高熱にうかされ、衰弱しきった覚馬さんの傍らで
時栄さんが預かっていた管見を大垣屋さんへ託していました。
覚馬さんが彼女に預けた時もどうかと思ったけど
大垣屋さんだって松方弘樹といえど商人なので(笑)
今後いつどうやって誰に渡すのか気になります・・・

さて鶴ヶ城。
夜襲に出ようとする八重さんが万が一敵に見つかり
おなごだとバレれば面倒になるからと髪を切ろうとしていました。
自分では上手く切れないから、と通りがかった時尾さんに
切ってくれるよう頼みます。
「髪はおなごの命なのに・・」と涙ぐむ時尾さんに
「私は三郎だから長い髪はもういらない」と微笑む八重さん。

これが會津戦争の初日でした。
ほな。。。
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by eeny_meeny-bon | 2013-07-07 01:08 | 幕末・時代劇

やっと一週間が終わった ぼんです~
サクサク進める禁断の続きもの(笑)


山本家ではパパと尚さんの出陣祝の儀式が
行われていました。

「かち栗・豆・胡桃・松」は
「勝って まめで 来る身を 待つ」
ここで「愛しき日々」の歌が脳内で流れます(笑)

パパがお仏壇に手を合わせて立ち上がろうとした時、
それまで黙っていた八重さんが口を開きます。
「私もお供させてくなんしょ」
鉄砲の腕なら負けない、會津を護るため、
お城やお殿様を護るために・・・
おなごは連れていけないと言うパパと
食い下がる八重さん。
「三郎の仇を討ちたいのです!」と言った瞬間
これまでほとんど声を荒げた事がないママが
大きな声で制し、彼女の頬を叩きます。
お許しもなくおなごを戦に連れていける訳がない!
余計なことを言って大切なご出陣の邪魔をするな、と。

弟の仇を討ちたい・・・
これが八重さんの本心だったのでしょうね。
お国もお殿様も大事だけれど三郎の仇を討ちたい、
・・これを口にできるかできないかが
武士とおなごの違いと言えますが・・
でも皆八重さんの気持ちは解りすぎるほど解ってる。
だからパパも「三郎の仇はわしが取る」と
八重さんのいないところで言ったのでしょう。
想いは同じ・・だけど銃の腕前は確かに男を凌ぐとはいえ
やっぱり八重さんはパパにとっては可愛い娘なのです。
その娘が確実に人を殺せる武器を手に戦場へ赴く・・・
そんなこと喜べる親なんていないですよね・・・

で、若干気になったのはこんなに熱いやりとりが
交わされてても尚さんと八重さんの出陣前の
会話とか無いっていうのが・・(汗)
山本家の結束が固すぎて尚さん肩身が狭すぎ・・
はっ それがこの後の展開に・・・?

會津は峠のそれぞれに布陣、
これによって兵力は分散します。
そして猪苗代では北へ向かおうとする土方さんと
會津に残って戦おうとする斉藤さんの会話。
残された道がもう籠城しかなさそうな會津を
土方さんは見限ったように描かれてますが・・・
會津に殉じるか、徳川に殉じるか、
それ以上の理想に殉じるか・・
その違いなんじゃないかと思うんですけどね。

斉藤さんは旧幕兵奉行の伝習隊・大鳥圭介に
「新撰組は會津に来るまでにあちこちで戦い
多くが戦死した。今後も生きて隊名を残したいとも思うが
今會津が落城しようとしているのを見て、
これを見捨てるのは「誠」の精神に反する。
母成峠で仙台行きを約束はしたが、
自分達は後顧を思わず隊名と共にここで死のうと思う。」
と話し、了解を求めたという話もあります。

ただそれぞれが己の誠に尽くしたという事。
なのでここの土方さんの「會津に惚れた女でもできたか」
という台詞は全くもって下衆の極みで
そんな事言わないわよー!と
ジタバタした私なのです(笑)

どっちかというと「じゃあオレは一足先に仙台に行ってるから
お前も後から来いよ!」位のノリで。
土方さんだって最後には刀があるって絶対思ってるし。
なーんかもう描写が雑過ぎて気分よろしくない・・・

話を戻します。
十六橋は猪苗代から流れ落ちる日橋川に架けられた
石橋で、若松に至る湖岸随一の要害でした。
これを落として新政府軍の進撃を食い止めようとしましたが
あまりに頑丈なため崩し終えないうちに敵が押し寄せ
奪取されてしまいます。
これによって會津の最後の防御線は
突破されてしまったのでした。

前線の滝沢本陣に向かった容保様を警護するのは白虎隊。
城内にはもはや精鋭部隊が残ってなかったため
彼らの出動となったのです。
見送った照姫様は傷兵の手当は城の女達がする事と
塩の蓄えを確かめることを申しつけます。
それを確認するという事は籠城戦が近いということ。

容保様が滝沢村に到着してすぐ、十六橋が突破されたと
報せが入ります。
次は戸ノ原口が破られれば城下は目前。
だけどもはや手勢は足りず・・・
やむなく白虎隊士中二番隊を援軍として出陣させる事に。
彼らの出立を見送った容保様は
戸ノ原口が破られた時は籠城の構えをするようにと
城下に伝令を出します。

白虎隊士達は戸ノ原口で野営します。
旧暦にして10月、もう日ごと寒くなる頃なのに
雨も降ってますます身体は冷えて行きます。
空腹なうえに野外でろくに休めず、初陣で精神的にも
かなりいっぱいいっぱいだったと思います。
隊長の日向内記が食料調達に出てしまい
隊士達だけになり、ともすれば押し潰されそうな雰囲気に
篠田儀三郎さんがおしくら饅頭を始めます。
最初は誰もが押し黙ってたのですが
悌次郎さんも続き、そのうち大合唱に。
いや、そんな騒いだら敵に見つかってしまいませんか?と
焦るほどでしたが、そこはやっぱりまだ前髪のとれない
子供達の無邪気さを描くという意味では
良いシーンだったのではないかと思います。
泣けるわ・・・・

結局日向は戻って来ず。
自分達は會津の武士だ、と
鼓舞するように袖印を握り締めます。
そこへ敵の銃弾が。

山本家では長年仕えてくれた下働きの二人に
暇を出します。
でも敵がやって来たらおなごは足手まといにならないように
皆自害するという噂を聞いたといってなかなか村へ帰るのを
承知しようとしません。
山本ママはおなごも皆登城の触れが廻ったからには
みなお城に上がって自分達ができる事をやって
お城を護るんだと言います。
それでも二人はぎりぎりまで残って登城の支度を手伝ってから
村へ戻るという事で承知します。
なんか山本家の温かさが伝わる関係ですよね。

そして8月23日(旧10月8日)早朝。
敵襲を報せる半鐘を合図に多くの藩士の子女は
城内へ向かいました。

八重さんは角場に一人佇み、
家族と過ごした日々、
覚馬さんや三郎さんの事、
そしてその思い出は鉄砲と共にあった事を
回想しながら頭を下げます。
「今までありがとなし」

そして三郎の遺品である軍服を着て
袴をはいて銃を携えます。
南天の刺繍の入った袖を引きちぎる様は
どれだけ願を掛けても何一つ叶えられず
大切な人達を失った事に対する、
信心的なものへの決別を表したようにも
見えました。

なんとなく予感はしていたけれど
娘のその姿を見て呆然とする山本ママに
「逆賊呼ばわりして會津を滅ぼしに来る者を
私は許さない。私は戦う。」と宣言します。

いよいよ「幕末のジャンヌ・ダルク」、登場です。
ちょっと不謹慎ながらこのコスチューム、
機能性などはともかく格好いいと思います(笑)
ポスターとかでもずっと気になってたので。

情報によると鶴ヶ城落城の回は7月の中旬過ぎに
放送予定のようです。
あと3回くらい辛い場面が続くのかーと思うと
結構心が揺れますなー・・・はうう。

ほな。
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by eeny_meeny-bon | 2013-06-29 00:23 | 幕末・時代劇

ども、代休だった ぼんです。

お休みだし、うちのチームの試合も無いから
八重さんを進めておこうと思ってたのに・・
外出したら歩きっぱなしで疲れてしまった上に
他のチームの試合をがっつり観てしまったり。
おまけにあれこれ補足事項などもあって
資料を確かめながら書いてたら
ダラダラ長くなってしまった・・・
(それでも記憶違いだったり誤ってる箇所があれば
ご指摘頂けると幸いです~っっ)

なので今回は2部構成(え?)

慶応4年6月、奥州に進軍してきた新政府軍は
白河を攻略、そして7月に二本松藩壊滅、
奥州同盟は崩壊寸前になっていました。
そして季節は進み8月(現在の10月)、
會津には冬が訪れようとしていました。

板垣(土佐)や伊地知、大山(薩摩)は
どの峠から攻めるか作戦会議。
急がないと雪が降れば雪道や寒さに慣れていない
新政府軍は不利になります。

板垣は勢至堂(せいしどう)、伊地知は母成(ぼなり)を
それぞれ主張します。
母成の道は猪苗代の先で急流を越えなければならず
そこにかかる橋をおとされれば万事休するので
板垣は反対しましたが、勢至堂は道幅が狭いが
母成は広く大軍を展開するのに都合よく、
その天険に油断して相手の兵力が手薄になるという
伊地知の主張が通り、攻撃は8月21日と決められました。

山本家では戦が近いという事で家族会議が行われていました。
「何があっても殿と御家を第一に考えて動けば會津の人間として
道を誤る事はない。見苦しい真似はするな。」という
山本パパの言いつけにみねちゃんが「はい!」と返事するのが
ほんと切ないというか哀しいというか・・・
そして八重さんのいつもと少し違う、固い表情に気付いた
山本ママと尚さん。
彼女が何を考えてたのかはこの後判明するのですけど。

角場でチビ八重ちゃんが描いた銃の画を懐にしまうパパ・・・
二本松の篤次郎さんのダルマ的な感じになるのでは、と
薄々視聴者に予感させます・・・

黒河内先生は眼病を患って床に伏していますが
竹子さんを筆頭に女性達は薙刀隊を編成して
照姫様をお守りするのだと稽古にも気合いが入ってます。
これが娘子隊(じょうしたい)です。

八重さんが参加してくれれば心強いと言われますが
ご一緒できないと断ります。
非難の声も上がりますが竹子さんが
「八重様には別のお考えがおありなのでしょう。」と
察して庇ってくれます。
さすが才女と評判の高かった竹子さん。
八重さんの武器は薙刀ではなく銃だと解ってくれたのです。
最初は銃なんて武家の名折れと侮りがちだったけれど
同じ女性としての一番の理解者は竹子さんだったのですね。
(このドラマの設定では、ですが)

八重さんは守るのではなく
相手を倒して三郎の仇を討ちたかったので
目的を達成するための手段は薙刀ではなく銃。
確実に相手を仕留める武器だったのです。

さて、容保様達はどうやって敵を阻むか悩んでいました。
新政府軍は偽の情報をばらまきつつ、実際は石筵口(母成峠)を
目指しており會津はそれに翻弄されていました。
「冬まで持ちこたえれればこちらが有利」と官兵衛は言うのですが
相手の進軍は想像以上に早かったのです・・・

そんな中、大蔵と官兵衛は家老を任じられます。
危急存亡の時だからと言いますが、西国ではもっと早くに
こういった人事が行われていたのですけどね・・
そして二本松から會津へ向かう安達太良山(あだたらやま)、
母成など7つの峠を封鎖する作戦がとられます。

そのころ京では覚馬さんが流行病に冒されて
大変な事になってました(汗)
これによって牢から出してもらい医者にも診察してもらって
待遇がぐんと良くなる・・はずです。

さて、びっくりするほどあっさりとナレーションでは
「新政府軍は母成峠をとった」←終了~
・・・って感じでしたけど!!
ほんとはそんな一言で終わるようなものでは無かったはず・・

ちょこっと補足すると
攻撃日の21日は濃霧のため10m先も見えなかったそうです。
伊地知の読みが当たり、石筵口にはわずか数百人の兵しか
配備されていませんでした。
相手が霧に紛れて急襲してくると白刃戦となりました。
だけど新撰組の土方さんや斉藤さんの奮戦により
新政府軍を圧倒したそうです。

苦戦に陥った新政府軍でしたが、
幕會軍がとった作戦により彼らをを恨んでいる住民が
石筵辺りにいるという情報を得ます。
(敵の野営地にならないように村を焼き払うという作戦でした)
その住民に道案内をさせて幕會軍陣地の後方に
迂回する事に成功しました。
これが會津にとって致命傷となったのです。

さらに幕會軍の大砲は5、6門だったのに対し
新政府軍は20門以上を有し、
旧式のヤーゲル銃に対して新式のミニエー銃、と
これだけでもかなう道理はなかったといえます。

結局、幕會軍はてんでばらばらに逃走。
この敗戦で山中を彷徨った結果、會津への
情報伝達が遅れ、それもまたますます窮地に立たされる
原因となるのです・・・
今回後半で容保様が「敵の動きが早すぎる・・」と
驚かれてるのがこれです。
・・ってか、そもそも色んなエピソードを省いて進む
大河の展開こそが早すぎると思ってますけどね・・・

新政府軍はいよいよ猪苗代城へ迫っており、
會津では15~60歳までの男子に登城するよう
お触れが出ます。

・・・と結局長くなってしまったので今回はここまで。
ええっ2回に分けるとかアリ?というクレームは
受け付けませんのであしからず(笑)
ほな♪
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by eeny_meeny-bon | 2013-06-27 23:40 | 幕末・時代劇

6/16今週の八重さん。

會津行きからもう一週間経つのねーと
感慨深い ぼんです。

旅行はあっという間だったけど
日常に戻ってからは長かったわー(笑)
休日当番があったから一日多かったとはいえ
なんかしんどかった。
気持ちもなんか切れちゃう事もあって
豆大福になりたかったり(笑)←なにそれ

周回遅れ厳禁!って事で八重さん。
二本松少年隊の回です。

その日、山本家の角場は賑わっていました。
高木盛之輔さん(時尾さんの弟)と
山川健次郎さん(大蔵の弟)が
八重さんの元を訪れていたのです。
武芸の鍛錬より学問が好きな健次郎さん、
確か東京帝大総長になった人でしたよね。

そこへマントル姿が似合う伊東悌次郎さんが。
銃の腕を認められ、年齢は満たないけれど
白虎隊に入隊が決まったのです。
盛之輔さんも若殿の護衛につくと知って
自分だけ取り残されたと呟く健次郎さん。

なら身体の鍛錬の秘訣を教えましょう、と八重さんは
健次郎さんに米俵担ぎをさせます(笑)
そんな八重さん達を眺める尚さんの表情が冴えないのは
嫁しても変わらないお転婆な怪力妻(笑)を
目の当たりにしたからではなく白河奪還の困難さから。

かつて二人で新婚旅行さながら背炙峠を越えて
福良、白河、二本松を訪れた事を思い出す八重さん。
白河を取られた事は會津にとって痛恨の極みでした。

その白河城に入った板垣、大山。
板垣は日光口で戦っていたのですが
大蔵の奮戦に遭って完璧に封じられ、
白河へ退いて来たのです。
(ここドラマではちょっとしか触れられてませんけど
大蔵の働きは本当にめざましく、新政府軍の侵攻を
この時点では全く許さなかったそうです)

白虎隊士中一番隊・二番隊は新撰組と共に
藩主の警護のため福良にいました。
まだまだ土方さんの話を聞きたいという隊士に
もう夜遅いから引き揚げようと言ったのは儀三郎さん。
次々と知った名前が登場するなぁ・・・(涙目)
いかん、感傷的になってしまう。

新政府軍は棚倉を落とします。
棚倉から白河までは一本道、さらに白河が抑えられれば
奥州街道が完全に抑えられる事になり物資の供給も難しく
會津は窮地に立たされる事になります。
それゆえに何度も白河奪還を試みたのですが
結局二度と叶わなかったのです。

奥州同盟の綻びもあり會津の孤立を恐れた頼母さんは
鶴ヶ城へ戻り、容保様に停戦の進言をします。
自分はもちろん他の家老の首をもって恭順の意を示し
停戦を申し入れようと。

だけどこれまでに何度も嘆願書を送り、
手を尽くして来たけれど取り上げられなかった。
奥州越列藩同盟もあり、もはや恭順など
有り得ないと誰もが相手にしません。
「恭順などと列藩同盟の信義にもおとる!」
會津は間違った事はしていない、朝敵ではない。
頑ななまでの思いと同盟軍への信義。
それらは會津の上層部の面々を
がんじがらめに縛っていたんだと思います。

そこで何を思ったか、頼母さんは
「銃と大砲の補充を!」「反射炉を早く作れ!」
と畳みかけるように言った挙げ句
「だからあの時早く都を出ていれば!!」
・・・これは本当に大失言。
ドラマの構成上もあるんでしょうが・・・
ここで聞きたくないセリフでした。
今それをゆったところで何か変わるのか?
お互いの心を傷つけ合うだけじゃないですか。
頼母さんは最近まで謹慎していたのですから
実際に都にいた會津の人々の苦労が
身に染みてわかる訳じゃない。
内蔵助さんなんて結果息子の修理が
責任を負わされて切腹させられるという目に
遭ったというのに。

頼母さんのこのシーンでの数々の発言は
白河での失態をすり替えてるようにしか
見えなかったのが哀しかったです・・

結果、頼母さんは白河の総督解任。
お互いの言葉の行き違いや心のすれ違いはあっても
會津を大事に想っているのは同じ・・なんだけど。

日新館では尚さん、八重さん、山本パパ、
健次郎さんが戦場から戻って来た銃の修理をしていました。
棚倉から戻って来た銃の火薬は関ヶ原の頃の調合だとわかり
東北諸藩の軍備の遅れを思い知らされます。
そこへ秋田藩が同盟を離脱して新政府側へ
降ったという報せが入ります。

ただでさえ苦しい戦況なのに、秋田藩が敵へ降ったという事は
會津は背中側にも敵を迎える事に。

さて京の太政官では岩倉と木戸の二人を
春獄さんが待っていました。
會津から再三の謝罪恭順の書が届いていたのを
握りつぶしたせいで今や奥羽は戦乱の地となっている。
新政府は政権を私心で握っていると皮肉たっぷりに言う
春獄さんに「全てはご叡慮」の一言で黙らせようとする岩倉。
去り際に春獄さんの捨て台詞。
「歪んでおる。あなた方の作る新しい国は
踏み出したその一歩からすでに歪んでおる。
誰のための国作りぞ。とくとお考えあれ。」

そして獄中の覚馬さんは「管見」を完成させます。
いつか時が来たら然るべき人に渡して欲しいと
時栄さんに託します・・・・が、
それの見極めを時栄さんがどうやってするのか、と
突っ込んでしまったのは私(笑)
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鶴ヶ城でちょうど写真の展示があったので・・
覚馬さん建白書表紙。(同志社大学図書館蔵)
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管見とは。
なんか最近の覚馬さんって急に公法とか言い出したりして
ちょっと唐突な感もありますけど広く色々な人と交流もあったそうで
見識がとても深かったんですよ・・ドラマでは描かれてないけどWW

管見には政治的な項目もあるけど
「肉食推進」とかあって面白い・・体格を良くして欧米諸国に
負けない身体をつくる目的だそうww
あと、子供の人格形成の初段階を担う母となる
女子の教育の重要性も説いてて
覚馬さんが遠く未来を見ていた事がわかります。

話を戻します。
破れても・・滅んでも・・・まだ残るものはある。
そう言った覚馬さんの脳裏に浮かぶのは
あの桜の木に登って笑顔でこちらを見ている八重さん。
残るものは「會津の魂」であり、
以前、大蔵がゆったようにそれを象徴するのが
八重さん-會津そのもの-なんですよね。
厳しい冬が過ぎてまた美しい花を咲かせる桜の木。
その姿のように會津もまた・・・。

さて二本松。
三春藩の裏切りもあって新政府軍は
棚倉から三春を通り二本松へと侵攻してきました。
不幸な事に二本松の主力部隊は郡山にいたので
老人や子供達がその守りに駆り出されました。

ちょこっと二本松少年隊の事に触れますと・・
彼らは十二歳から十七歳までの少年62人でした。
その名がつけられたのは戦後50年を経てから。
正式に編成された會津の白虎隊と違って落城が迫ってから
急遽動員され各隊に配属されたため名称などは
当初ありませんでした。

二本松藩では兵力不足のため十七歳までの出陣を
許可しました。
少年達の出陣については「入れ年」という制度があって
本来は二十歳で成人するものの十八歳になった時点で
藩に成人したという届を出すと藩は番入り(兵籍に入る)を
命じる習慣がありました。
二歳のさばをよむことを黙認するので、これをあてはめると
十五歳までの少年が出陣を許された事になります。

やがて本営が占拠されて藩は十五歳までの出陣を
許可します。それは「入れ年」にすると十三歳までの
少年が出陣を許された事になり、
この二本松の悲劇となったのです。

少年達の服装はまちまちで父や兄の着物などを
彼らの身体に合わせて縫った間に合わせのものでした。
身体が小さかったために刀を佐々木小次郎のように
斜めに背負った少年もいて、抜くときは他の少年に抜いてもらったり
二人が向かい合い腰を折って、互いに相手の刀を抜いたといいます。

大壇口の戦いでは隊長木村銃太郎、副隊長二階堂衛守が率いる
少年隊二五名が出陣しました。
二人の少年が大砲につき、他の少年達は前日作った
畳の保塁に身を潜め、十分敵を引きつけてから砲撃を行いました。
この時の砲撃の正確さには西軍も驚いて
「一弾一弾よく目標に的中した」と後に隊将が語っています。

さて、話を戻すと・・・
奮闘虚しく、多勢に無勢。
新政府軍は徐々に少年達を追いつめていきました。
隊長を失い、死傷者を出しながらも城下まで戻ってきた
少年隊ですがそこで薩摩兵と遭遇します。
相手が子供と知って見逃されたのですが
その後現れた長州兵によって副隊長の二階堂は射殺され
少年達はちりぢりになり、ある者は城へ向かい
ある者は會津に向かって行き、幾多の者が命を落としました。
ドラマの中では八重さんにダルマをもらった篤次郎さんが
敵に突っ込んで行き命を落とします。
「銃を撃つ時に目を瞑らずに的を見ていられるように」と
もらったダルマ。
自分も武士であるという矜持を持って、勇気を奮い立たせるように
握り締めてから敵に向かって行ってしまった・・・
そんな勇気のためのダルマじゃなかったんだけど。

重臣らは城楼に火をかけ自刃、二本松城は落城します。
さらに同じ頃、越後の長岡城も陥落。
(長岡は河井継之助の指揮でものすごく奮戦したし
ナレーションの一言で終わるようなものじゃなかったのですけど・・
まあキリがないので・・)
いよいよ敵が會津目がけてやって来るのも時間の問題。

さて、頼母さん家。
後は頼むと託された奥さんの千恵さんは
「おなごばかりでも旦那様の名前を辱めるような事は
致しません。」と言います。
・・・この後の悲劇を予感させるシーンでした。

八重さんは二本松の少年が運び込まれたと聞いて
療養所へ駆けつけ、彼らと対面。
篤次郎さんの最期を看取ります。
(もう重篤な状態で二本松からここまで来たとは
思えないんだけどね・・・)
「こんな幼い子供まで・・・」と嘆く八重さんの目に
決意を込めた光が宿ります。

d0098335_21351788.jpg

二本松少年隊の像。
奥から、
大砲を撃つ少年・畳の保塁に身を潜めながら銃を構える少年
敵に向かって刀を突く少年(敵に対しては突けと教えられたそうです)
そして隊服を繕う母親


次回いよいよ・・・
ほな。
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by eeny_meeny-bon | 2013-06-23 21:42 | 幕末・時代劇

6/9今週の八重さん。

毎日雨降りでいくら水不足とゆっても
降り過ぎやろ~!の ぼんです。

そんな私も頭の中がカビてるようで、
この記事いきなり本文から始まってた・・
なのでこの冒頭の挨拶文的なものは
その後の編集で入れました(笑)
まあ入れても入れなくても大差ないんですけど
なんとなく落ち着かないので(笑)
では八重さん。

三郎の死と覚馬の消息不明の報せは
明るかった山本家を一気に哀しみのどん底へ
落としてしまった訳ですが
時は待ってはくれませんでした。

新政府軍は越後口、日光口、白河口の三方から
會津へ迫ろうとしていました。
日光口の守備についていた大蔵でしたが
奥羽鎮撫総督 九条道孝ら一行が仙台入りしたのを受け
城下へ急ぎ戻ります。

世良修蔵・・キャラ濃いなあ(苦笑)
奥羽の賊徒は奥羽に討たせるという総督府の考えを伝え
杯に入った桜の花びらを見て一句詠い、
何もかも遅れた土地だとあざ笑う世良・・
そりゃ仙台藩士達の反感も買うってものです。
これは分かりやすい悪人の描かれ方だし
私も世良のイメージは相当悪いんですけど・・
そもそも武家の出ではない世良、
下参謀なんて大抜擢で馬上の人ともなれば
人間そりゃ間違いますよね・・・
(いや、だからといって同情の余地はないんですけど)

そして會津では覚馬さんの消息不明の報せに
立ち直れずにいる義姉のうらを薙刀の稽古場へ
八重さんは連れて行きます。
「身体を動かせば心も動き出す。
縮こまっていても良い事は何もない。」
みねもそろそろ薙刀を始める年頃だし、
そうなれば家で手ほどきするのはうらの役目だと
八重さんが言った時、道場にお雪さんが入ってきます。

修理さんを失って、まだ喪も明けてないお雪さん。
未亡人の髪型になってるのが切ないです・・
何もしないでいては旦那様に申し訳がないからと
稽古にやって来たのです。
そんなお雪さんを見て自分も強くならなければと
素振りを始める、うら。

もう涙、涙ですよ・・
武家のおなごは強い、そして優しい。
労りの言葉を掛けるのは本当は容易いのです。
だけど人の心は弱いから、わかりやすく優しくされると
いつまでも哀しみの淵に立ち止まったままになってしまう。
大事な人を失った哀しみは耐え難いけれど
それでもやって来る毎日を生きていかなければならないのです。
子供がいるならなおさら歯を食いしばって。
だから一緒に頑張りましょう、
共に強く生きていきましょう。
お雪さんと手合わせする竹子さんも、
うらと素振りする八重さんも
道場にいた人達皆、気持ちは一緒だったはず。
本当の優しさってこういう事だと思うのですよ、私。

ただ・・みねを強い會津のおなごに育てないと
あとで旦那様に叱られてしまう、と言ううらに
覚馬は生きてると信じてるし再会できると断言する
八重さんですが・・・
確かうらは覚馬さんに会う事はないんですよね・・
その言葉に少し微笑んだうらが切なくて(涙)

さて、上野寛永寺。
勝はこの日水戸へ退隠する慶喜の元を訪ねていました。
「わしの将軍職は都で始まり都で終わった。汚名と共に。」
徳川家の300年近い歴史が慶喜に重く
のし掛かっていた事を思い出させます。
徳川家を終わらせてしまった事、悔やんでも悔やんでも
悔やみきれなくて・・・
「勝、そなたこれまで誰に仕えていた?」
「上様でございます。」
「いや、そなたが仕えてきたのは徳川幕府だ。
わしに家臣がいただろうか・・
會津のような君臣一体となる家臣が・・」
憎らしい慶喜だけれど、ものすごく孤独感に苛まれているのが
感じられて哀れにさえ思えます。
大勢の者が徳川幕府に仕えてきたけれど
彼には本当の意味で家臣はいなかったのです。
だから會津や桑名の殿を半ば脅すような形ででも
傍に置きたかったのかもしれないなあ・・とか。

會津はどうなるのか・・気に掛けてはいるけれど
もはや自分にはどうする事もできない。
静かに去って行く慶喜。

會津では迫る新政府軍に備えて
再び守りを固めるべく、国境に軍備を敷きます。
越後口には官兵衛、日光口には大蔵、
白河口には頼母さんが新撰組と共に。

宇都宮の戦で足を負傷した土方さんに代わって
組を率いるのは斉藤さん。
新政府軍に出頭して板橋で斬首となった近藤さんを偲びます。
新撰組については「ただの不良の集まり」みたいな
描かれ方をしていただけにここのシーンって
なんだか違和感がありましたの、私・・・
殉職した刑事さんを偲んで「アイツもいったか・・」みたいな
しんみりした雰囲気だけど、そこへ至るまでのあれこれが
全て省かれてるために観てて「はて?」みたいな。
ちっとも共感できないんだよね・・
(新撰組詳しい人とかならともかく)
斉藤さんに向かってサラリと
「刀の時代は終わったな」とかゆっちゃう土方さん。
まあ最初から描かれ方については期待できなかったので
あれこれ申しませんが・・・うぬぅ

その土方さんの後ろ姿を見送る斉藤さん、
外から鐘の音が聞こえたので出てみると
そこには三郎の月命日のためお詣りに来ていた時尾さんが。
「オレにも供養させてもらえないか、弔いたい人がいるのだ。」
恐らく近藤さんやその他鳥羽伏見で亡くなった隊士達の事でしょう。
将来夫婦になる二人が並んで手を合わせます。

白石に奥羽25藩の重役が集まって會津救済の
嘆願書に署名されたと話す山本家パパ。
そもそも會津に非は無い、
會津の逆賊の汚名はこれで晴れるようになる、
そう喜ぶ八重さん達ですが・・
冒頭に登場の世良が「奥羽皆敵」といった書簡を
都の総督府へ送ろうとしたのが発覚、
福島藩と仙台藩士の兵によって世良は斬られてしまいます。
これにより新政府軍と奥州との戦は避けられない事に。

奥州同盟は総督府に反抗するという主旨では無かったのですが・・
ともかくこれで総督府に奥羽を討つ口実ができたのです。
そして白河口の戦い。
あっという間に終わった感がありますが
実際はかなり激しい攻防をおよそ100日間繰り返したそうです。
最終的に同盟軍は大敗北。

その頃、官兵衛は長岡藩家老、河井継之助の元を訪れていました。
河井といえば詳しい事は知らなくても河井=ガトリング砲。
長岡藩江戸藩邸引き払いの際に藩主の家宝などを売却し、
横浜の商人、ファブルブランドからガトリング砲を2門購入しました。
ちなみにこの頃の日本にはガトリング砲は3門しかなかったそうです。
そのうちの2門が長岡藩という一藩にある・・
これだけで河井の凄さがわかります。
まあとにかくこれにて奥州北越31藩による「奥羽越列藩同盟」が
新たに結ばれました。

蛇足ですが
覚馬さんや勝が口にしていた「万国公法-国際公法」については
この頃の武士階級の人達の間では必要最小限の知識を持っていて、
「奥羽北越同盟 軍政総督府」をもって世界での
公認政府であらねばとこの頃列国の公使宛てに
通告文が送られたそうです。
それによって各国は新潟に領事館を置く事を決め、
米国などはいちはやく反政府側と外交を始めていたとか。
そんなに開けてたなんて全然知らなかったですよ、私。

で、いつぞやか尚さんが白河の重要性を説いてましたが
まさにそこは今、新政府軍の手に落ち
いよいよ會津に危機が迫っていたのでした。


ここまで書くのにめっちゃ時間掛かったー。
旅行の前に観てたのに・・・
今後あっさり書くとゆっときながら結構な長さになった(苦笑)
いよいよ次回は二本松少年隊。
もう毎回毎回大洪水で大変です、私。
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by eeny_meeny-bon | 2013-06-20 23:54 | 幕末・時代劇

6/2今週の八重さん。

なんだかずっと身体が重い ぼんですー

あ、体重の事でわありませんよ(笑)
暑さについていけてないみたいで・・
毎日ダルくて重くて(涙)朝起きるのも辛い。
はうぅ~頑張らねばっ

だけど全く進まない八重さん記事。
辛いしかないんですもの・・
なんとか八重さんが京へ行くまでは・・と
思ってはおるのですが。

さて。
殿におかれましては京~大坂~江戸への
ハートブレイク逃避行でございました。
その果てに僅かな供回りのみ連れて
會津へお戻りになる事に。

皆を置いて慶喜と江戸へ戻った事が
本当に悔やまれて仕方なかったのですね。
この出立の際までもそれを口にする殿。
修理を失ってしまった事、皆を置き去りにした事、
悔やんでも悔やんでも悔やみきれないのです。

しかしまさに5年振りのお戻り。
たった5年だけど幕末の5年って
普段の倍以上の濃密さだったと思います・・。

江戸にいた藩士やその家族達も引き揚げて来て、
それと一緒に最新の戦術を学びに出ていた
尚さんも帰ってきます。
夫への労いよりも先に兄と弟の安否を気にする八重さん。
気持ちはわかるけど・・ちょっと切なかった。

そして尚さんの口から三郎の最期と
覚馬さんが処刑されたらしい事が語られます。
あれだけほんわかムードに包まれていた山本家は
かつてないほどの哀しみに襲われます。
だけどさすが武家であるがゆえに皆涙を堪え、
パパは息子達の最期を確認して来てくれた事について
尚さんにお礼を言います。
そこへみねちゃん帰宅。
張りつめていた糸が切れたように、うらは堪えきれず
廊下の奥へ駆け込み嗚咽、寄り添うママ、
そして角場でパパは一人むせび泣きます。
その背中が・・哀しすぎました・・。
一度に二人の息子を失ったんですものね。
(本当は三郎だけなんだけど、この時点の山本家においては)

で、これまた気持ちはわかるけど「なんでそんな嘘をつくんだ!」と
尚さんに喰ってかかる八重さんはちょっとイヤだった・・
哀しい気持ちや認めたくない気持ちを尚さんにだからこそ
ストレートにぶつけられたんだとは思うけど・・・
尚さんだって哀しいはずなのにさー・・とか。

殿は隠居して御薬園で謹慎の日々を送っていました。
何も語ってくれない殿に照姫様は心を痛めるばかり。
「分けて頂きたい・・殿が背負われた重い荷を・・少しでも・・」
殿を想って涙をこぼされる照姫様・・・
本当に切ないです。
いつも自分の事よりまずは殿の事、だったり
會津のため、民のためを想った照姫様、
お優しくてお強くて私は大好きなんです。
目立たず、そっと陰から見守るけれど
その姿は凛として美しく・・(イメージですけどね)

いよいよ新政府軍は東征へ。
3本の街道を進み、その先々の藩を従えて。

會津でもその対応について会議が繰り返されていました。
あくまで朝敵にならないために恭順を唱える頼母様。
勝てばよいのだという強行派の佐川。
そして息子の修理を失ったばかりの内蔵助さんは
朝敵の汚名を着せられたまま恭順しては
武士の一分が立たないと。
議論が熱を帯びてきたところで殿が存念を話します。

朝廷に弓引くつもりはない、だが攻めてくるのならば
全力でもって戦う。
逃げるところなどもうどこにもない。
戦はこの會津で行う・・・

獄中で覚馬さんが懸念した通り、
ひとたび戦となれば會津は滅びるまで戦う。
まさにその道に一歩足を踏み入れたのです・・

だけど今のままでは到底太刀打ちできないから
軍制改革を行う、という事。
恭順を示しながらも軍備は強化するという事です。

正しい事は正しいという事を貫く姿勢。
そこは絶対に引けない・・まさに會津心。
汚名を着せられたまま、ただ恭順して
城を明け渡す事は武士として出来なかったのだと。

・・・これによっていよいよ登場するのが
玄武隊・青龍隊・朱雀隊・・・そして白虎隊。
彼らを見るだけで私泣けちゃいます(涙)
日テレの「白虎隊」ではその隊旗を皆で掲げて
無邪気に走り回ってましたね・・

角場に銃の練習をしに来た悌次郎君達に
指南をしていた八重さんが思わず
「三郎!」と呼びかけてしまいます。
我に返り、銃を持って外へ飛び出す八重さん。
その腕を掴んで抱き止める尚さん。
「どこへ行く気ですか!誰を撃つのです!」
あたしゃ今回、何度泣けばいいのですか・・。
・・八重さんはずっと泣いてなかったんじゃないかと
思うのです。
哀しみが大きすぎて、だけど生きてると信じたくて、
でも心が折れそうだったり・・・

この時、ようやく気持ちが追いついて
泣けたんだと思います。
悲痛過ぎる八重さんのやり場のない叫び、涙。
それを大きく受け止めてくれる尚さん。
気が強くて時として無茶を言う八重さんだけど
全部ひっくるめて引き受けてくれる尚さんとは
ほんと良いご夫婦だと思うんですけどねー・・
(私、ジョーは特に・・・もごもご)

江戸総攻めの中止を訴える勝と西郷さんの会談。
なんとなくあっさりと片がつきました(失笑)
・・あ、どーでもいいけど職場の本部近くに
この会談の地の記念碑があるんだと今回知りました(笑)
今度出張があったら見に行ってもいいかな。
まあ興味は無いんですけどね(笑)
話を戻します。
江戸城無血開城の功績を讃えられた勝ですが
色々思うところがありますの、私。
(勝一人の手柄とか、どーなんだ・・・)
まあそれはともかく、新しい時代に転換するために
何かしらの大きな犠牲が必要だと考えた西郷達。
要するに徳川の力がまだ大きく、その求心力を断ち切るための
見せしめのさらし首が必要だった訳で。
それが會津だったんですよね・・。

さて、會津には旧幕府の兵達が続々と集結、
その中には新撰組の斉藤一の姿も。

ほんっっっと期待してなかったけどもうこの展開って事は
近藤先生とかすっ飛ばし・・・
私、幕末は新撰組から入った人なので思い入れが強いのは
仕方ないのですけど・・・いや、ほんともう・・・
後は時尾さんと出逢ってしまえばお役ご免ですよ、斉藤。
(マジか・・)
今読んでるので河井さんも出して欲しいけど・・・
・・と思って久しぶりに公式HPで相関図を観たんだけど
「新政府」ってイケメンチームなのはなんでだ・・(そこ?)

三郎の死は残された服の南天の刺繍が決定的だったのですが
覚馬については遺髪も何も無いので
死んだとは言い切れない、絶対諦めない、
そう自分に言い聞かせる八重さんでした。



ほな。
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by eeny_meeny-bon | 2013-06-08 00:05 | 幕末・時代劇