人気ブログランキング | 話題のタグを見る

6/30今週の八重さん。

急に暑くなってちょっと調子を崩し気味の
ぼんでございます~っ
 
夕べはなかなか寝付かれなくて
3時まで起きてましたよー。
目はしょぼしょぼするので本読んだりもできず
ずっとゴロゴロして辛かった・・

さて、さらっと済ませるこないだの八重さん。
(いや、もう・・進まないのよー)

8月23日朝、新政府軍は滝沢峠を越え、
城下へ迫ってきました。
急を告げる早鐘が打ち鳴らされ、
藩士の家族は続々と入城を急ぎました。

こうして會津の長い一日が始まったのです。

山本家もお城に上がりますが
男装束の八重さんはママに戦いに行くと告げます。
「さすけねぇ。必ず戻っから。」

そこへ照姫様が通りかかり
「勇ましい姿じゃな。」と声を掛けます。
鳥羽伏見の戦いで亡くなった弟の形見であり、
弟の魂と共に戦場へ向かうと話す八重さん。
「では會津武士の魂を込めよ」
・・弟と共に。
その言葉に照姫様も思うところが
あったんじゃないかなあ~・・

滝沢から容保様を無事に入城させるため
それぞれの部署の守りにつくことになりましたが
お城の守りが手薄になると平馬が反対します。
この時まだ大蔵の率いる兵達は戻って来ておらず
彼らが出ていってしまうとまさしく城の中は
女子供達と老人といくばくかの兵士だけになり
もしも敵に突破された場合を考えると
危険極まりなかったのです。

そこで八重さんが鉄砲隊を指揮すると名乗りを上げます。
もちろん女だてらにと相手にされませんが
「そんな古い考えでどうするんだ。
この戦は男だけの戦いではない!」と言い返します。
「では心ゆくまで励め」となんだか認められたみたいな
感じになってますが・・・
まあ実際はこんな事は無くって、一人でスペンサー銃を担いで
城壁の陰から敵を狙撃してたんでしょうけどね。

ドラマでは城にいた少年兵達を率いて山川健次郎さんと共に
北出丸から抗戦、その狙撃の的確さ、統率力、
滲み出るカリスマ性にその場で一緒に戦っていた老兵達も
感心します。

家老西郷頼母邸では全員白装束に着替えて詩を詠んでいました。
それはもちろん辞世の句。
「なよ竹の 風にまかする身ながらも
 たわまぬ節は ありとこそきけ」
2歳の幼児から老女まで21人が自刃したと言われています。
三女の田鶴子ちゃんでしょうか、
それとも妹の常盤ちゃんでしょうか、
「今日は何をするんですか?」と
聞いたそのあどけない表情がほんとに哀しかったです。

この日、會津では籠城して足手まといになってはいけないからと
大勢の女子供達が死を選んだと言われていますが
ここのおうちはちょっと事情が違って・・・。
頼母さんは元々数少ない恭順派であり、そのために容保様から
職を免じられていました。
なのでこの西郷邸の集団自刃は頼母さんの殉国の至情を
身をもって示したものだと言われています。

2年前に會津を訪れた時に頼母邸跡を見たのですが
北出丸からすぐのところにあったと記憶しています。
なので登城を報せる半鐘が鳴ってから
十分時間があったはずなんです。
なので遅れて城へ入れなかったから・・という理由では
決して無かったと思うのですよね。。。

その後、邸へ入ってきた新政府軍の一人である
土佐藩士が(ドラマでは板垣さん)この惨状を目の当たりにします。
まだ死に切れていない若い娘を発見しますが
その娘は「お味方でしょうか、それとも・・」と虫の息で
問いかけます。もう目も見えて無い様子。
「味方の者です」それを聞いて娘は介錯を頼みます。
この時討たれた娘は頼母さんの長女、細布子(たいこ)さんで
あったといわれています。
6/30今週の八重さん。_d0098335_0334760.jpg


そして白虎隊。
食料を調達しに出掛けた日向内記が戻って来ないまま
夜が明けようとしていました。
夕べもらった握り飯のほかは何も食べていない
育ち盛りの少年達は空腹と寒さと睡眠不足と緊張とで
精神的に追いつめられていたと思われます。
それでもなんとか城までは辿り着こうと必死で歩きます。
街道を抜ければ城下まですぐのところまで来たけれど
恐らく敵が大軍で城下を目指しているに違いなく
洞門の中を潜行する事にします。

私が前回會津を訪れた時は台風が過ぎた直後だったので
この水路はかなり増水していました。
白虎隊士達が通った日も會津は朝から雨が降っていたらしいので
恐らく同じように増水していたと思われます。
空腹と疲労の上に冷たい水の中を進むのは
さぞ困難で辛かったんじゃないかと思います・・・
6/30今週の八重さん。_d0098335_033175.jpg

6/30今週の八重さん。_d0098335_0332675.jpg

台風一過で増水中のお写真・・・
洞の中の方はよく見えなかったけど、
きっと真っ暗だったんじゃないかと(>_<)

ようやく洞門を抜け飯盛山に出た彼らは山腹を登り
城下を見下ろせるところへ辿り着きます。
そこで彼らが見たものは燃えさかる鶴ヶ城。
実際は城下町の邸が燃えていたですが煙に遮られ
はっきりとは見えなかったと思われます。
城へ戻る話し合いがされたのですが
もし敵に捕らわれてしまったら・・と思い至り
そこで自刃する事を決めます。

篠田儀三郎さんは皆の心を静めるために
文天祥の正気歌を歌ったと言われます。
「仰いで浮雲の白きをみる
 悠々たりわが心
 丹心を留守(りゅうしゅ)して
 汗青を照らさん」
藩校日新館で朗読した漢詩でした。
こうやって白虎隊士中二番隊20名は自刃。
(後に飯沼貞吉さんが助かるので実際は19名ですが・・)

思い入れがあるのでここもなんだかあっさり感が
否めないわーと思ったり。

城下のそれぞれの持ち場で防戦していた田中土佐さんと
神保内蔵助さんでしたがいよいよそれも難しくなり
お互い差し違えて自刃します・・・
「生まれ変わってもまた會津で」という台詞には
泣かされました・・・

で、お城では八重さんと尚さんが再会。
尚さんの「やはり来ましたね」という言葉が
すごく嬉しかったです、私(笑)
普通の夫婦ではないけれど、共に戦う同志であるのが
共感できるんです・・・
八重さんの発案で城壁に大砲で穴を開けて
そこから敵に向かって発砲することに。

京では高熱にうかされ、衰弱しきった覚馬さんの傍らで
時栄さんが預かっていた管見を大垣屋さんへ託していました。
覚馬さんが彼女に預けた時もどうかと思ったけど
大垣屋さんだって松方弘樹といえど商人なので(笑)
今後いつどうやって誰に渡すのか気になります・・・

さて鶴ヶ城。
夜襲に出ようとする八重さんが万が一敵に見つかり
おなごだとバレれば面倒になるからと髪を切ろうとしていました。
自分では上手く切れないから、と通りがかった時尾さんに
切ってくれるよう頼みます。
「髪はおなごの命なのに・・」と涙ぐむ時尾さんに
「私は三郎だから長い髪はもういらない」と微笑む八重さん。

これが會津戦争の初日でした。
ほな。。。
by eeny_meeny-bon | 2013-07-07 01:08 | 幕末・時代劇